東京地方裁判所 昭和34年(ワ)2107号 判決 1960年6月13日
原告 玉田政助 外四名
被告 社会福祉法人 久我山病院
主文
被告は、
(一) (イ)原告玉田政助に対し、金六十四万二千七百二十円、(ロ)原告浮田淑夫に対し、金二十三万一千七百五十円、(ハ)原告小川一吉に対し、金十四万円と右各金額に対する昭和三十四年二月七日以降各支払済みに至るまで年五分の割合による金員を、
(二) 原告内藤昭三に対し金十一万五千五百円及びこれに対する昭和三十三年十二月十五日以降支払済に至るまで年五分の割合による金員を、
(三) 原告佐藤信彦に対し金一万七千五百円及びこれに対する昭和三十四年一月十五日以降支払済みに至るままで年五分の割合による金員を、
支払え。
訴訟費用は、被告の負担とする。
この判決は、仮に執行することができる。
事実
一、当事者の求める裁判
原告等訴訟代理人は、主文第一、二項と同旨の判決及び仮執行の宣言を求め、被告訴訟代理人は「原告等の請求を棄却する。」との判決を求めた。
二、原告等主張の請求原因
原告等はそれぞれ別紙一覧表就職年月日欄記載の各年月日に被告に雇傭され、同表退職年月日欄記載の各年月日に退職したものである。
被告の就業規則第六章には被告の従業員が退職する場合に、所定の計算により算出した金額の退職金を支給する旨の規定があり、それによると原告等は被告に対し、右退職により前記一覧表退職金額欄記載の各退職金債権を有するところ、右就業規則第六章中第六十四条の「退職金は発令後六ケ月以内の期間に支払う」旨の規定により、被告は原告等に対し右各金額の退職金を原告等につき退職の発令のあつた前記退職年月日から六ケ月以内、即ち前記一覧表支払期日欄記載の各年月日までに支払う義務があつたにかかわらず、今日までその支払をしていない。よつて原告等は被告に対し前記各退職金とこれに対する前記各支払期日の翌日から各支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
三、原告等主張の請求原因に対する被告の答弁及び抗弁
(一)、答弁
原告等主張の請求原因事実は、原告等の主張する退職金の全額につきすでに履行期が到来したとの点を除きすべて認める。
(二)、抗弁
被告の就業規則第六章中第六十四条には、原告等が主張する文言に続いて、「但し情況により変更することができる」との但書が存する。被告は、昭和三十三年三月当時多額の負債をかかえてその整理に苦慮していたところから、経営再建のため大多数の理事を更迭したのであるが、同年八月新しい理事会で、右就業規則第六十四条但書の規定に基き、退職金の支払について次の方針が決定された。
(イ)、未払退職金については退職年次の古い者より逐次支払うこと。
(ロ)、その支払方法は六年間七十二回の月賦とすること。但し退職者のうち、被告の経営再建に協力する意味で退職金の五十パーセントを放棄する者に対しては、極力一時払の方法を講ずること。
しかるに原告等はいずれも退職金の半額放棄に同意せず、又退職年次も新しい者であつたところから、その退職金については右(ロ)の方針により、昭和三十四年七月から六年間七十二回の月賦で毎月末日に順次支払つてゆくことに決定されたのである(しかしながら原告等の退職金の支払につきこのような決定のなされたことについては、前記就業規則第六十四条本文所定の期間内に被告から原告等に対し通知はなされなかつた)。従つて原告等の退職金債権中、本件口頭弁論終結(昭和三十五年五月十三日)の月の末日である昭和三十五年五月末日を支払日とする分以降の割賦金についてはまだ弁済期が到来していない。
四、被告の抗弁に対する原告等の答弁及び再抗弁
(一)、答弁
被告の就業規則第六十四条但書に、被告主張のような規定のあることは認めるが、その余の事実はすべて否認する。
(二)、再抗弁
(1)、被告の就業規則第六十四条但書の規定は、退職金の支払時期を被告の一方的な決定、いわばその恣意に委ねるもので、労働基準法第二十三条第一項の趣旨に反するものであるから、同法第九十二条及び民法第九十条の各規定に照らして無効である。
(2)、かりに右のように解されないとしても、被告がその就業規則第六十四条本文に定める退職金の支払期限を同条但書の規定によつて変更することは、就業規則の変更ないし追加をなすものとして、労働基準法第八十九条及び第百六条所定の手続を必要とするものである。ところが被告の主張する前記退職金支払に関する方針の決定は、原告等に全然知らされず、又所轄労働基準監督署にも届出られていないから、まだその効力を発生するに至つていない。
五、原告等の再抗弁に対する被告の答弁
原告等の再抗弁に関する主張はすべて争う。前記就業規則第六十四条但書の規定により被告が退職金の支払時期の変更を一方的になし得ることは、その規定上明確であり、労働基準法第二十三条第一項は、すでに履行期の到来した賃金につき権利者から請求があつた場合に使用者において七日以内にこれを支払うべきことを規定しているに止まり、この規定は退職金の支払についても適用されるべきものであるにしても、被告の支払うべき退職金の履行期自体について規定した右就業規則の規定は何ら右法条に違反するものではない。
六、証拠関係<省略>
理由
原告等がその主張の期間被告に雇傭されて退職したことにより、被告の就業規則の規定に従つて被告に対し原告等主張の退職金債権を取得したことは、当事者間に争いがない。
ところで被告は、右退職金債権の一部について、まだ支払期が到来していないと抗弁するので、この点について判断する。
被告の就業規則第六十四条において「退職金は発令後六ケ月以内の期間に支払う。但し情況により変更することができる。」旨規定されていることは、当事者間に争いがないところ、右但書は、本文において定められているところに従つて退職金の支払をなし得ないことが相当であると認められる情況のある場合に限り、当該退職者に対する被告の一方的意思表示によつて本文所定の支払期限を変更することができることを規定したものと解するのが相当である。
原告は、右但書の規定が労働基準法第二十三条第一項の趣旨に反し、同法第九十二条及び民法第九十条に照らして無効であると主張する。退職金について使用者が就業規則中に規定を設けて、あらかじめその支給条件を明確にし、その支払が使用者の義務とされている場合には、退職金は賃金の一種に属するものとみるべきであり、従つて労働者が退職した場合における賃金の支払の確保を図ろうとする労働基準法第二十三条の関係部分の規定はかかる退職金の支払について適用されるべきものというべきである。しかしながら同条第一項前段は、使用者の負担する賃金債務ですでに履行期の到来したものについて、権利者から請求があつたときにおいて七日以内にその支払をしなければならないことを規定したものであることが明らかであるところ、被告の就業規則第六十四条の規定は、被告の義務にかかる退職金の支払期日自体について定めをしたものとみるべきであるから、労働基準法第二十三条第一項に反するものでもないし、又もとより公序良俗に反するものともいえないので、これを無効とするいわれはないのである。ところで証人生越義信、同大沢嘉平治の各証言によると、被告がその主張のような経営困難を切抜けるため昭和三十三年八月十二日新しい理事会において被告の就業規則第六十四条但書の規定に従つて決定した退職金の支払方針に基いて原告等に対する退職金については被告の主張するような支払方法(但し月賦弁済の場合における支払期間は三年とする)をとることにしたことが認められ、この認定に反する証拠はない。
原告は、右就業規則の本文の規定による退職金の支払期限を変更した被告の右のような退職金の支払に関する方針は、就業規則の変更ないしは追加にあたるのであるから、労働基準法第八十九条及び第百六条所定の手続を必要とするのにこれを経なかつたから、その効力が未発生であると主張するけれども、右方針の決定は前記就業規則の規定に準拠してなされたものであるから、それ自体原告のいうように就業規則を変更するものでも、これを追加するものでもなく、原告の右主張はその前提から失当であるが、被告において原告等に対しこの方針に基いて退職金の支払をすることが許されるためには、その旨の意思表示が前記就業規則第六十四条の本文所定の期間経過前に原告等に対してなされていなければならないものというべきである。しかるに被告から原告等に対しさような意思表示のなされなかつたことは、被告の自認するところである。
してみると原告等の退職金の一部につき弁済期が未到来であると主張する被告の抗弁はこの点において失当であり、被告は原告等に対し前記就業規則第六十四条本文の規定に従つて別紙一覧表退職年月日欄記載の各年月日から六ケ月以内に同表退職金額欄記載の各退職金を支払うべかりしものであつたというべく、従つてこれ等各金員及びこれに対する同表支払期日欄記載の各年月日の翌日から各完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める原告等の被告に対する本訴請求は全部理由があるのでこれを認容し、訴訟費用について民事訴訟法第八十九条を、仮執行の宣言について同法第百九十六条第一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 桑原正憲 駒田駿太郎 北川弘治)
(別紙)
一覧表
就職年月日
退職年月日
退職金額
支払期日
玉田政助
昭和年月日
二八、一、五
昭和年月日
三三、八、六
円
六四二、七二〇
昭和年月日
三四、二、六
浮田淑夫
三〇、四、四
三三、八、六
二三一、七五〇
三四、二、六
小川一吉
三一、五、一
三三、八、六
一四〇、〇〇〇
三四、二、六
内藤昭三
三〇、七、二八
三三、六、一四
一一五、五〇〇
三三、一二、一四
佐藤信彦
三二、二、四
三三、七、一四
一七、五〇〇
三四、一、一四